フィレンツェ

firenze

フィレンツェへ。
イタリアにも訪れてみたい場所がいくつもあったけど、今回はヴェニスから鉄道に乗って2〜3時間ほどのこの街を選んだ。

「ダビデ象」や「メディチ家の礼拝堂」をはじめとして、数々の魅力ある観光資源・美術館を有するフィレンツェには、なんと年間1,000万人弱ものツーリスト(イタリア国内からも含む)が訪れるらしい。
そんな一大観光都市だが、フィレンツェ大聖堂を基点にアルノ川をまたいで放射状に広がる旧市街界隈は、徒歩でも歩き回れてしまうコンパクトなサイズ。
日本はようやく全体で年間1,000万人を超えた(外国人のみ)…という状況を考えると、この決して大きくない街がいかに大量のツーリストをうまく受け入れているのか…と驚かされる。

内陸の山に囲まれた盆地は、この時期は日中の気温は35℃を優に超える日が続き、街の隅々まで水が通うヴェニスと比べるととにかく暑く感じた。

フィレンツェ滞在中は、圧倒的な存在感を放つ大聖堂を目印にして、東西南北へ伸びる道をウロウロ。夕暮れが近づくと(こちらのサンセットは21時!)街が一望できるようなビューポイントを目指した。

この写真は、丘の上にあるミケランジェロ広場の様子。
即席のライブ会場となった階段では、ツーリストと地元の人が交じり合いながら、思い思いに佇んで美しい黄昏のひと時を楽しむ。
その手にはワインやビールは欠かさない。
そして、太陽が低い山並みにゆっくりと沈み行き、完全にその姿を消した瞬間には、ため息や感嘆の声と共に、誰からとも無く拍手が起きた。
ああ、豊かな時間だな…と心から思った。

日本よりも日中の明るい時間が数時間も長いことや、
別に誰しもがこういった場所に来て最愛の人とのんびりと過ごしている訳ではもちろんないから、そういったことを充分に差し引いた上で考える必要はあるけど、それでもなお、ヨーロッパの都市における人々の「暮らしぶり」は、東京における日常の私たちのそれとは本質的に何かが異なっているように感じる。

ふと、ではそんな自分の暮らす街・東京は一体どうなんだろう、と思った。
東京を訪れた旅人へ、私たち(の街は)はどんな体験や思いをもたらせているのだろうか?と。

旅人としてどこかへ赴く時、自分の中には「誰かの日常をお裾分けしてもらっている」ような感覚があって、それにはいつもとても感謝しているのだけど、
そういえば東京で過ごす日々の中で、「自分が旅人を迎え入れている」というような感覚を持ったことはなかったなぁ…と気づく。

(自分が旅先ですれ違う人々から勝手に何かを感じているように)知らず知らずのうちに、誰かの人生の大事な瞬間に、うっかり・ひょっこりと自分が登場しているかもしれないんだなぁと思うと、なんだか感慨深いものがある。
それは「通行人A」のような役回りかもしれないし、そんな通行人Aにも、旅人とのちょっとした関わり次第で「一生の関係」に発展していくようなドラマチックな可能性が秘められている訳で。
そんな風に考えると、東京に戻ってからの日常にも、毎日ドラマやチャンスが潜んでいるような気がして、なんだかワクワクしてくるのでした。

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